三河木綿の歴史

三河の綿

西暦799年、小舟に乗り棉の種を持った1人の崑崙人の青年が現在の西尾市付近に漂着し、村人に棉の栽培を教えたことが日本の綿の歴史の始まりと言われています。
(今も棉の種を入れた壺は宝壺と称して天竹神社本殿に残っているそうです <GoogleMap>)

西尾市の天竹神社

崑崙人像

そこでは棉栽培は定着しなかったようですが、徳川家康公の母の於大の方が三河の松平家に棉作を奨励し、江戸時代には関東以南の各地で棉が栽培され木綿織物が作られ、三河地方では三河木綿となりました。

明治時代に入り豊田佐吉の自動織機の発明があり、日本の繊維産業は繁栄し、蒲郡も日本有数の綿織物の産地に発展しました。

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